うちの三尺の童子

アホ男子と中2病女子の子育て てんてこまい物語

「発達障害」が印籠になっている? 多様性が認められにくい世の中では、便利なのかもしれないけど、、さ

facebookのお友達がイイネしてて、発見した。
発達障害という診断が、学校を医療の場にしている、、、という批判の記事を引用している記事?

記事のほとんどは、対応に困った学校側が 保護者に言って 子供の発達を診断してもらったら 案の定 発達障害だった。 先生が、対応を変えたら いい方向へ成長していった  というものだった。

学校を医療の場に変えた、、、との批判は、アレ?どこ? よくわかんなくて 読み直した。


病気して病院にかかれば、言うなれば まな板の鯉。 病気に関して 知識のあるドクターの言う通りにするのが 一般的だ。 患者から、薬を指定したり 手術方法を指示することは あまり無い。 病気だと診断した医療側が、治療をする 対応するってことね。

一方 発達障害との診断がついても、治療・対応を医療側に全てお任せできる訳じゃない。日々 養育者だったり 教師だったり 友達だったり、その子の周りにいる人が 適切な対応をする事で 症状が軽くなったり 成長したりするんだな。

ところが、学校の先生の中には、診断がおりた→対処法がある とばかりに、どう対応すればいいですか?と、発達に関する専門家に聞くそうな。ここが、医療化と批判されるポイントなのだろう。

発達障害は、病気と比べ物にならないくらい 個人差があって、診断を下したドクターでさえ コレという対処法を指定出来ない。その子に接する人たちが 色々試す中で ベストを選んでいくしかない。

そんでもって、コレって いちいち診断されないとできんことか?ってことだろう。


多様性が認められにくい、窮屈な育児環境になったと思う。そんな中では、発達障害とレッテル貼った方が 受け入れやすいのだろう。 

ウチの近所の養護クラスの先生ですら、息子のヤンチャを許せず苦情の電話をかけてきた。あーだこうだ話した後、息子は ADHDだから できん我慢もあると説明したら、発達障害なら納得って おっしゃってた。息子 小学1年生の時の話だ。

上級生に、よってたかって 日々 早よ歩けと罵られたら、ウルセーと悪態ついたり 蹴り入れたり 石投げたり あり得るだろう。やっちゃいかんってわかってても、我慢できない事ってあるだろうと、思うわけよ。だけど  そんなこと容認されない訳で、私が「ウチの子ADHDです。ご迷惑かけます」と腰を低くして 登校班の親に謝って回らなきゃいけないことらしい。


もし 多様性が認められる世の中なら、レッテル貼りは必要ないだろう。息子に対して、命令したら反発する。だったら 言い方を変えようと 工夫してくれたらいいのだ。

「〜してくれない」と言うのは大嫌いだから ひたすら 息子に我慢しろと 言うしかなかった。学校に、息子にひつこく命令するのを止めさせてと、頼んだ。

学校は、「ADHDだからみんなと同じようにはできないと保護者に説明する。3回注意しても息子が聞かなかったら 置いていっていいルールにする」と言った。別にADHDって言ってもいいけどさ〜  登校班のイザコザをADHDだけのせいにするんだ〜  上級生が息子への接し方に失敗してるって視点は無いんだ〜

そうなのだ!診断を欲してるのは 対応に失敗してるのを 棚上げして 問題を発達障害の所為にしたい人たちなんじゃね? コレを医療化と批判してるのかしらん?


私が、学校の医療化を批判と言う言葉に飛びついたのは、 「発達障害の子たちに対する配慮を親が先生に要求しすぎ」という内容だと思ったから。

だけど実際は、診断が有ろうと無かろうと 個々の子どもに合った対応を 探し見つける努力を怠っちゃいかんよ、というものだった。なんだか、 安心した。