うちの三尺の童子

アホ男子と中2病女子の子育て てんてこまい物語

金にはならない価値がある

「お姉ちゃんだけずるーい!高いもんでも、自分で好きなように買ってるー」と、息子。
「私の時は、お手伝いしてもお小遣いなかったー!お年玉もママに取られてたのにー!!」と、娘。

歳の離れた兄弟は難しい。過去と現在を往き来しながら比べてくる。

「お姉ちゃんの小さい頃は・・・」が理解できない息子。何度言って聞かせても、娘と同じようにやりたいと言ってきかない。てな訳で、お年玉は息子の財布の中におさまった。この時、まだ年長さん。

母の監視のもと、自分のお金でゲーセンで遊んだりおもちゃを買っていた。なんと息子は「お金って使うと減るよ」と言っても理解できていなかった。

息子にお買い物を頼んだ時のことである。
「オレが払う」と、息子。ママが払うと言っても、「オレが払いたい」と言う。わけがわからん?とりあえず千円渡して買い物に行かせた。

帰ってきた息子にお釣りを請求すると
「オレが払うって言ったのに〜.お母さんお金が欲しいから,わざとオレに払わせなかった!!!」と、怒るのだ。なーるほど、千円払ってお釣りをもらうと、お金が増えると思ってたらしい。どーりで気前がいいはずだぁ

そんな息子も夏の終わりには、お金が無くなる実感が持てたのだろう。
「おかあさーんっ368円って、高い安い??」「100円って高い安い?」「千円って・・・」と、本を見ては聞いてくるようになった。

「高いか安いかは人によるよ。カード1枚100円は、ママには高いなあと思うけど、ゲームやってカードが出てきて楽しいって思う人には高くないんじゃない」と、私。


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そのうち、質問が禅問答のようになってきた。

「おかあさーん!車って高い?」と、リビングから叫ぶ息子。

「高いよ。そりゃ高いけど、ママ今車便利に使ってるでしょ。車は高いけど、ママはその分便利に使ってるから、高くない」と、キッチンから叫び返す私。

「おかあさーん!!このうちって高い?」

「むちゃくちゃ高いよ!でも欲しかったんだよ。高いけど、欲しくて買う人には高くないんだよ。私にはゲーセンで使う100円の方が高いよ!」
もう、息子のしつこさは天下一品。どんなに物分かりのいいお母さんしたくても、「しつこい!うるさーい!!」と、言っちゃう。


そーいや、最近の大発見。

ニュースで、「高齢者は質素な暮らしをして、お金と貯めている・・・うんぬん」と言うのをよく聞く。老後が不安なのが理由なんだけど、もし、使う前に死んじゃったら意味ないじゃん。

この時、ムムムッ ときた。老後の為に貯めてたお金、病気の治療や介護付きマンションの費用に充てられた時点で価値が生まれる。使わない時は、通帳に記載された数字でしかない。

「お金って使わなきゃ無いのと一緒じゃない。使って初めて価値が生まれる。でも、お金ないと使えないからお金は欲しい。ってことは、お金自身にやっぱり価値があるのか?いやいやただの紙だ」

お金はとっても大事なものなのに、それ自身には価値がない ← これが大発見!

お金は、物々交換、労力等々交換、物・労力交換などが効率よくできるように使われる引換券なのだ。引換券は、早く交換しなきゃと思うのに、お金は貯まったらウシシと思う。お金の持つ魔力だな。


そして、最近のほぉー。

お給料というものは、どうしてこうも差が出るんだ?

社長さんが五千万円の年収だとして、その秘書が600万円だとしよう。この2人の能力や労力にそんなにも差がないとしても、給料には差が出る。お金を、労力と交換の引換券だとすると不公平感半端ない。

茂木健一郎 @kenichiromogi さんのツイートでこんな様なのを見かけた。(お気に入りに入れとけばよかった)

能力の差じゃない。ポジションの差だ。(原文とかけ離れてたらごめんなさい)

ほぉー ポジションね〜
大和の昔から、権力者に年貢が納められてたことからみても、権力者にお金が集まってくるようになってるんだな。だから、お金がある人が偉いことになる。どうりで、権力もないのに、お金儲けした人を「成金」呼ばわりしたわけだ。

今では「成金」という言葉は死語となり、お金を稼いだ奴が偉いとなった。それに色んなサービスも出てきてお金を払えば便利に暮らせるようになった。だ・け・ど〜お金がすべてだとは思えない。

だから、鳥井謙吾@funfanlifeworkさんのブログ読んで、ムムムッときた。
結局世の中金だ

お買い物する時、商品を見て買いますか?それとも、値札を見て買いますか?

私が商品なら、私を見てほしい。たまたまポジション悪くて安い値段付いてるけど、じっくり見たら、いい味出してるかもしれないじゃん。

金にはならぬが、捨てたもんじゃないぜぃ〜