江戸時代の人は、遺伝子の存在を知らなかった。遺伝子を認知できない江戸時代に、遺伝子って存在してたと言えるのか否か? 月の裏側議論の意味がわかってきた。
ゴールデンウィーク帰りの車の中で、「自分の認知を超えた事柄について どう判断するのか?」というテーマで 娘と話した。
発端は、娘の愚痴。我が家の文化・常識に照らし合わせて、よその家庭の文化・常識を受け入れ難いようだ。「違う ということ」それについて、どうとらえるか。
私の「お残しは あきまへんで〜」方針は、娘には刷り込まれ、息子は馬耳東風。
問題は、刷り込まれた娘。他の人が食べ残したり、出された料理に文句言うのが耐えられない。ピーマンはヒトの食べるもんじゃないっていわれるのが耐えられない。
(自分の味覚では不味いものでも、それは 自分の味覚が苦味しか感じられないだけで、もしかしたら、ピーマンを美味しいと感じる人の味覚では、甘味や旨味を感じられるのかもしれない…)と想像できない人もいる。
そう、すべてにおいて 自分に認知できる範囲があって、それを超えた情報について どうとらえるのか?
否定して拒否するのか?
自分の認知を超える事象を認めるのか?
「それは、人それぞれだってーの。
ピーマンを全否定する人も、
ピーマンを全否定する人を否定する娘も、
向いてる方向が違うだけで、自分の認知の外を想像できない点において、同じだってーの。」と私。
見えない光だって、聞こえない音だってある。自分にとっては 無い ものでも 実際あるのだ。
ギフテットの脳が特別に感知したり機能したりするのも、職人やスポーツ選手の秀でた感覚も、凡人の脳には想像すらできない。
娘は、黙った。
しばらくして、こう言った。
「40だったか50だったか?人は歳をとると新しいものを 受け入れられなくなるんだって。そんなものは、必要ないって言うんだって。ママだってそのうち、グーグルグラスなんか必要ないって・・・・」
私「ウインクひとつで写真撮れたら、ここだ!!ってシーンを逃さなくていいじゃん」
娘「まるでストーカーだな」
私「頭ん中にグーグル入れられたら、"あー、あの人いいこと言ってたな。何だっけ?"と思っても すぐググれるじゃん」
娘「ママの場合 メモリーチップ入れればすむことね?なんでそんなに忘れるの? 」
私「うん。なんでこんなに 狭いんだろ?だから ipad と脳をリンクできたら・・・」
娘「ママは、心は(←強調)子どもなの 忘れてた」
"私と娘の間にも、深くて暗い河がある。誰も渡れぬ河なれど、共感示せと 人は言う。
そんなの無理だと答うれば、宇宙人だと思えと かえされた。ROWROWROW"